ワーホリ体験記“サーフィンをしながら語学学校に通い働く”

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今回のワーホリ体験記は20代後半の男性のオーさんです。

オーストラリアでワーホリの理由

僕がワーホリでオーストラリアに行った理由は3つあります。

1.海外で生活したかった
2. サーフィンがしたかった
3.英語が話せるようになりたかった

若い時から、「人生のうちに一度は海外で暮らしてみたいなー」と漠然と思っていました。

それと、サーフィンにハマっていて、就職してからは毎週末、車で片道2時間以上かけてサーフィンに行っていたので、常にサーフィンができる生活にあこがれていました。

その頃アメリカに住んでいたサーフィンをする先輩のところに、会社の有給を取って遊びに行ってから、昔からのなんとなく海外に住みたいという想いに火がつきました。

そして、「俺も海外に住んでサーフィンをするぞ」とその手段を模索し始めました。

すぐに「サーフィン大国のオーストラリアだ!」と言う結論に達しました。

海外に住みたいという想いとサーフィンができるという両方をワーキングホリデービザで実現できる環境が、オーストラリアにあったのです。

ワーホリ準備期間

ワーホリを25歳の時に決めてから、1年は仕事をしながら、節約してお金を貯めました。

それまで務めた仕事を辞めて、ワーキングホリデーに行くのだから、帰国後に英語を使う仕事に就けるような英語力を得ようと思い、日本にいる時からNHKのテレビ講座などで英語の勉強を始めました。

それまでの英語会話力はゼロで、学生時代、英語は大の苦手科目でした。

また、日本語しか知らない私は、外国語といえば英語という考えしか頭になく、他の言語を学ぼうとは、これっぽっちも思いませんでした。

何もしないうちから、妄想はどんどん膨らみ、単身で海外に暮らす、そして、英語をしゃべれるようになるのが「かっこいい」と信じて、お金を貯めることに専念しました。単純です。

ワーホリに行く前に1年間滞在の為に、100万円ちょっとのお金を貯めました。

オーストラリア滞在

Wollongongの灯台

Wollongongの灯台

ワーキングホリデーでオーストラリアにはちょうど1年間滞在しました。

英語学校とホームステイ

英語を学ぶことが重要な目的のひとつだったので、最初の3か月間はホームステイして英語学校に通うことにしました。

なるべく、英語にどっぷり浸かりたかったので、シドニーから南に100㎞ほど離れた、Wollongong(ウーロンゴン)という地域のWollongong University(ウーロンゴン大学)の英語学校に通うことにしました。後でシドニーで仕事をしようと思っていたので、シドニーから遠過ぎないというのもポイントでした。

私が通った時は、クラスに2-3人の日本人生徒がいました。皆真剣に英語を勉強しに来た人たちで、とてもいい友達になれ、今でも交流が続いています。

ホームステイは海まで歩いて行ける距離だったので、サーフィンもし放題でした。

3か月は、ホームステイと英語学校で英語三昧の生活でした。ホームステイのホストは父と息子の2人でしたが、親切に英語を教えてくれて、勉強するのには最適な環境でした。

英語学校とホームステイは、オーストラリア大使館の図書館で見つけたエージェントに日本で手配してもらいました。英語学校の費用と手数料で、30万円強支払いました。ホームステイ費用は直接ホストに支払いました。

サーフィンとバイト

学校が終わる前に、中古車を$3000で購入しました。理由は、色々な場所をサーフィンしてまわるためです。

節約の為、ホームステイから、シェアに移り住みました。

学校が終わって少しは英語力もついたので、アルバイトをしてみようと思い、Wollongongのレストラン等を、作成した履歴書を持って飛び込みでまわりました。

検討してくれているかを、再度一軒のレストランに聞きに行くと、「じゃあ明日来て」と言われ、食器洗いの仕事をもらうことが出来ました。そのうちに仕込みや調理の仕事ももらい、3か月程の間働きましたが、週3日、週末の夜にしか仕事が無く、稼ぎは家賃に消えていきました。

中国人移民が経営する肉屋で掃除等の仕事もしましたが、これも週3-4日の1-2時間しか働けず、一度に最高でも$20弱しかもらえませんでした。

その間は学校には行っていませんでしたが、図書館に通ったり、シェアのオーナーと話したり、レストランの人たちと話したり、英語の勉強は欠かせませんでした。

Wollongongで、6か月程過ごした間、サーフィンを色々な場所で思う存分しました。

バイトの稼ぎは少なくて不安定だったので、6か月経つと貯金も少なくなり、フルタイムの仕事を探す必要性が出てきました。

この頃、オーストラリアの生活が気に入って、できれば残りたいと思い始めていたので、ビザをサポートしてくれるシドニーの日系企業で働きたいと思い、仕事探しを始めました。

日本語媒体を出版する会社で広告営業の仕事を得ることができ、シドニーに引っ越しました。シドニーで車も売りました。

日本語媒体出版社にて3か月フルタイムで働いた後、ビザのサポートはしてもらえないことがわかり、仕事を辞めることになりました。しかし、きちんとした給料ももらえた上、勉強もできて充実した経験でした。その後帰国までは、お土産屋等で働きました。

日本帰国後

日本に帰国してからは、取りあえず飲食店や日雇いのバイトをしながら、英語を使える仕事を探しました。

1か月たたない内に、免税電気店で外国人観光客相手の販売員の仕事をすることになりました。

その後、しばらくしてから、あるメーカーの海外営業の仕事に転職して、海外の顧客とやりとりすることになり、やりがいを感じています。

さいごに

オーストラリアにいた時は、特に3か月の学校とホームステイ生活を終えた時点で、英語力が大分上がったなあと実感できて、少しは話せる気になっていました。

それでも英語で電話とか、交渉事となると聞き取れず、言いたいこともきちんと言えずに四苦八苦でした。毎回電話しなければいけない時は、文章を紙に書いて話していました。

オーストラリアにいる時はとにかく英語を話す環境にいられるように、常にオージーとのシェアに入居していました。そして、わからない英語に出会ったら、メモして後でとことん調べました。

日本に帰って、英語を使える仕事に就いてからも、英語力の不十分さを痛感して、英会話の学校に通い、勉強を続けています。今の仕事を通じても、かなり英語を勉強させてもらっています。

やはり、英語は継続して勉強することが大事ですし、日本でもやる気さえあれば習得できると言うのは本当だと思いますが、私にとって、オーストラリアでの語学学校と生活の体験は英語力アップにかなり大きく貢献しており、本当に行ってよかったと思っています。言い過ぎかもしれませんが、ワーホリ中に英語力が一気に5年分、いや10年分アップしたような感覚です。

ワーキングホリデーで、日本ではできない体験をしました。異国であらためて自分を見つめられて、「生きてるんだ」と実感することができました。

多民族国家で色々な人たちの生活を見て、文化の違いに触れることが出来ました。

帰国後の生活パターンも価値観も変わって、より寛容になったかなって思っています。

迷っている人は絶対行くべきだと思います。

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